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岐阜地方裁判所多治見支部 昭和43年(ワ)168号 判決 1970年3月27日

原告

渡辺博孝

ほか一名

被告

市川茂

ほか一名

主文

被告市川茂は各原告に対し、それぞれ金一、八一一、五六〇円及びこれに対する昭和四三年一一月二三日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等の被告市川茂に対するその余の請求並びに被告日本国有鉄道に対する請求を棄却する。

訴訟費用中原告等と被告日本国有鉄道との間に生じた分は原告等の負担とし、原告等と被告市川との間に生じた分はこれを五分し、その二を原告等の、その三を同被告の負担とする。

この判決の第一項は仮りに執行することができる。

事実

一、原告訴訟代理人は「被告等は連帯して各原告に対し、それぞれ金三〇〇万円、及びこれに対する昭和四三年一一月二三日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として

(一)  原告等夫婦の子である訴外亡渡辺修は、昭和四二年七月九日午前九時二〇分頃、恵那市武並町竹折九四番地先国道一九号線道路上を原動機付自転車を運転西方向に進行中、同道路を先行していた被告市川茂運転の普通乗用車(以下被告市川車という)が急停車したため、これの右後部のランプ附近に右原付自転車のハンドルを接触させ、ハンドル操作の自由を失つて、右斜め前方に進み、センターラインを超えたところへ折から訴外加藤晴郎が運転する自動三輪トラック(以下被告国鉄車という)が対進し来り、これの後部車輪のホイルに激突、頭蓋骨骨折に因り即死した。

(二)  右事故当時被告市川車は、被告市川茂が、同国鉄車は被告日本国有鉄道(以下国鉄という)がそれぞれ保有し、前記訴外加藤晴郎は被告国鉄の従業員で、被告国鉄の業務のため右国鉄車を運行し、被告市川は自己のため前記車を運行していたもので、被告等は何れも右各車の運行供用者として有事故に因る損害を賠償する責任がある。

(三)  原告等は訴外亡修の父母として各二分の一の相続分を持つ共同相続人であるが、右事故に因り亡修の蒙つた損害、及び原告等の蒙つた損害は左のとおりである。

(1)  亡修の得べかりし利益の喪失額

亡修は死亡当時満一六歳の健康な男子で高校二年在学中であつた。そこで同人が平均余命を全うしたとして高校卒業後稼働可能期間中の得べかりし利益を算出すると、便宜労働省労働統計調査部編昭和四一年賃金センサス第一巻第二表により満一八歳より満五五歳までの間の新制高校卒勤労者の平均賃金の合計額から、生計費として四割を控除しこれよりホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除すると、右得べかりし利益の喪失額は本件事故発生当時において金五、六九七、四七六円となる。

(2)  亡修の生命損失に因る慰藉料

金二〇〇万円

(3)  原告等の慰藉料

一子修を失つた原告等の精神的苦痛を慰やすためには原告等一人につき金一〇〇万円を相当とする。

以上によると各原告が取得した被告等に対する損害賠償債権は、亡修の損害賠償債権の相続分である右(1)(2)の合計金七、六九七、四七六円の二分の一である各金三、八四八、七三八円と、各原告の慰藉料金一〇〇万円の合計各金四、八四八、七三八円となるところ、原告等は本件事故に伴い自動車損害賠償保障法に基く保険金一五〇万を受領したので、これの二分の一宛を右債権から控除した各四、〇九八、七三八円中各金三〇〇万円及びこれに対する本件訴状が被告等に送達された日の翌日である昭和四四年一一月二二日以降支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を原告等は、被告等にそれぞれ求める。

と述べ、被告国鉄の免責の抗弁を争い。

国鉄車を運転中の訴外加藤晴郎は、被害者修が被告市川車に接触後、自車の進路方向へのめるように進出して来るのを目撃しながら、これとの衝突を避けるための急停車避譲等の適宜な措置を全く採つていないので無過失とはいえない。

と述べた。

二、被告等訴訟代理人は何れも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

(一)  被告市川訴訟代理人は

請求原因事実中、原告主張日時、場所においてその主張の者が運転する被告両車に因り交通事故が発生し、訴外亡渡辺修が死亡したこと、被告市川車の保有車が同被告であり、これを自己のための運行の用に供していたことをそれぞれ認め、その余を争い。本件事故は亡修の速度超過、車間距離不相当前方不注視の重大な過失に因り発生したものである。

と述べた。

(二)  被告国鉄訴訟代理人は

請求原因事実中(一)(二)の各事実並びに原告等と亡修の身分、相続関係を認め、その余を争い。

抗弁として

被告国鉄車を運転していた訴外加藤晴郎には本件事故発生に関して過失なく、被告国鉄は右車の運行に関し注意を怠らなかつたもので、且つ右国鉄車に機能、構造上の欠陥はなく、本件事故は訴外亡渡辺修の一方的過失或は右亡修の過失と被告市川茂の過失の競合に因り発生したものであるから、被告国鉄には損害賠償責任はない。右過失の点については訴外加藤晴郎は本件事故当時国鉄車を運転やゝ上り勾配の国道を時速四五キロ乃至五〇キロメートルで東行していたところ、坂を降つて対向西進して来た被告市川車が前方約一五~六メートル辺りで不意に急停車するのを認めた瞬間、右市川車の右後部から体が斜右前方に倒れかゝるような体勢で亡渡辺修が国鉄車の進路に飛び込んで来るのを発見、咄嗟にブレーキをかけハンドルを左に切つて避譲せんとしなが及ばず、亡修は国鉄車の右後部車輪のホイルに頭を打ちつけ死亡するに至つたものである。右のような状態においては、訴外加藤晴郎において効果的な事故防止措置を採り得る余裕はなく、同人に関しては全く不可抗力に因る事故というほかない。訴外亡修は当時、法定制限速度三〇キロメートルを超える時速約四〇キロメートルの速度で被告市川車の後方を必要な車間距離を置かず進行したゝめ、前記被告市川車の急停止に対処する適切な措置方法がとれなかつたものであり、右事故は同人の全過失に因るものである。仮りにそうでなかつたとしても右渡辺修の過失と下り坂の途中において恣意的に一時停止した被告市川の過失との競合に因るものである。

と述べた。

三、証拠〔略〕

理由

請求原因(一)(二)の事実と原告等と訴外渡辺修の身分、相続関係については、原告と被告国鉄との間においてはすべて争がなく、原告と被告市川茂との間においては、右の内原告主張日時場所において、その主張の者の運転する被告両車に因り交通事故が発生しこれに因り訴外渡辺修が死亡したこと、被告市川車を同被告が保有し自己のため運行の用に供していた点は争がなく、その余の点は〔証拠略〕により肯認でき、これに反する証拠はない。

右によると訴外亡渡辺修は被告等が自己のため運行の用に供していた各自動車の惹起した交通事故に因り死亡したことが認められるので、以下被告国鉄の免責の抗弁について判断する。

〔証拠略〕を綜合すると、本件事故の経緯について、前記国道(東方より西方へゆるやかな傾斜をなし、幅員七・六五メートル、アスファルト舗装、北側に幅五〇センチメートルの側溝があり、更にコンクリートの擁壁となつている)を時速約四〇キロメートルで西進していた被告市川が、本件現場手前で対向車中に自己の従業員である訴外加藤和孝の運転する車を見付け、これと仕事上の打合せをするため、停車するよう合図をすると共に道路左へ車を寄せつつ自車を停車させようとしたところ、右被告市川車の後方を略同一速度で追尾していた亡渡辺修の運転する原付自転車の左ハンドルが右市川車の右後方尾灯に、センターラインを南側一・六〇メートルの地点で接触、右原付自転車は平衡を失つて右斜め前方にセンターラインを超えて飛出し、このため右渡辺修の身体も右自転車諸共頭から先に前へ身体を突出す恰好で飛出しセンターライン北側約一・二五メートル、右接触地点よりの距離九・二〇メートルの地点で、その頭部を折から同所を時速四五乃至五〇キロメートルで対向進行中であつた被告国鉄車の右後部車輪ホイルに激突、さらに東方へ約七・九〇メートル飛んで同道路上に右原付車と並んで転倒したが、右国鉄車との衝突に因り頭蓋骨を割つて(右前頭蓋骨を欠き)脳を露出して即死したもので被告国鉄車の運転手訴外加藤晴郎は右渡辺修が被告市川車の後方から自車の方向へ前のめりに飛出して来るのを発見して急拠左へハンドルを切ると共に急停止の措置を取つたが及ばなかつたものであること、右事故当時、同所附近は降雨があり路面は濡れていたこと、被告市川は前記停止の際専ら前記加藤和孝への連絡に気をとられて後続車両に注意を払うことなく左の方向指示器も出していなかつたこと等の事実が認められ〔証拠略〕中右認定に反する部分は前掲各証拠に対比して措信し難く(殊に二村勇の証言中亡渡辺修と被告国鉄車との衝突地点について、渡辺修の運転していた原付自転車が既に横転し、更にそれを超えて右渡辺修の身体が東方へ飛び出したところで被告国鉄車と衝突、同人の身体は西方へ戻された形で((右原付車の西側に))転倒したもので従つて右衝突地点は右原付車の転倒していた地点より東寄りである趣旨を述べる部分は、前記乙第五号証によつて認められる右原付自転車の横倒状況からして、右原付自転車の転倒後その位置を被告国鉄車が通過した((ことに同証言ではなる筈であるが))ものとは到底考えられない点に照らしても採用し難いものである。)他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定経過によると、右事故発生について、被告市川に停車の際に必要な注意を怠つた過失があり、また亡訴外渡辺修に法定制限速度超過及び前方不注意或は車間距離不適当の過失の存することが窺えるところ、被告国鉄車の運転手訴外加藤晴郎の過失の有無については、同運転手が本件事故を予見し得た地点につき、証人加藤晴郎は、「被告市川車が進行を停止する(或は速度を落す)と同時に亡渡辺修が急ブレーキを踏む姿勢をとりながら被告市川車に接触するのを前方一五メートルの地点で発見した」旨を証言するところ、右の距離については前記認定の原付自転車と被告国鉄車の速度を比較し、前記接触地点より衝突地点までの距離から逆算すれば原付自転車が接触後従前の速度を持続したものとしても、少くとも一八メートルはあつたことになり、寧ろ、接触後前のめりに倒れかゝる状態で進行した右原付自転車の速度は接触前よりは多少とも落ちると思われる点を考慮すると右加藤が原付自転車の接触を発見した地点はこれより更に後方であつたものと推測されるところであるが、仮りにこれを二〇メートル或はそれを幾分超える距離であつたとしても、被告国鉄車との衝突後亡渡辺修並びに原付自転車が更に東方へ八メートル近くも跳ね飛んでいる状況から見て、亡渡辺修の身体が被告国鉄車に向つて飛出して来る速度は可成りのものであつたことが窺われ、また前記被告市川車の停止と亡渡辺修のその後方よりの飛出しが全く一瞬の出来事であつたことが〔証拠略〕によつて認められる点、〔証拠略〕によつて認められる自動車の速度と制動距離の関係並びに前記のとおり本件当時道路が湿つて制動効率が悪かつた条件、東行車線の幅が三・八メートル余りで北側は幅五〇センチの側溝があり且つコンクリートの擁壁があつて、高速度で進行中の国鉄車としては急激な左への避譲措置を採り難いと考えられる道路の状況等を綜合して考えると、本件の場合に前記亡渡辺修の被告市川車との接触を発見した後において被告国鉄車の運転手に亡渡辺修との衝突を回避し得るより適切な措置を期待することは到底不可能というべきであり、また右発見の時点以前において右接触の事態の起ることを予見し得たような事情も存在しないことからすれば本件事故は右被告国鉄車運転手訴外加藤晴郎としては誠に止むを得ずして惹起したものというほかなく、同人には過失の責めは存しないと認めるのが相当である。而して〔証拠略〕によれば被告国鉄車に構造上の欠陥、機能上の障害はなかつたこと同被告方で右車の運行に関し相当の注意をしていたことが認められ、以上によれば被告国鉄の免責の抗弁は理由があることになる。

そこで、被告市川茂との関係において、亡渡辺修並びに原告等の蒙つた本件事故に因る損害額を検討すると、先ず、財産的損害として亡渡辺修の得べかりし利益の喪失額については、同人が右死亡当時年令一六年四カ月であつたことは前記のとおりで、且つ前掲証拠により当時高校二年在学中の健康な男子であつたことが認められ、これによると同人は高校卒業後就職するものとして一八歳から六三歳まで四五年間の稼働可能期間が見込まれるものといえ、この間の得べかりし利益を成立に争のない甲第二号証(労働省労働統計調査部作成の昭和四一年賃金センサス第一巻第二表)によつて認められる新制高校卒男子勤労者の平均年間給与額から本人の必要生活費として五割(未成年独身者死亡の場合の将来の得べかりし利益算出のため控除すべき生活費は独身家庭のそれを基準とすることも、世帯を持つた者のそれを基準とすることも相当でない((殊に後者によつた場合、現実の相続人が通常の場合に被扶養者である筈の妻子でなく、両親である点で疑問がある))と思われるので便宜五割として計算する)を控除し、これより年毎ホフマン式計算によつて中間利息を控除して集計すると総額金七、二四六、二四六円となる。(但し、稼働期間を一八年四月より六三年四月までとし、各年令別収益額を四カ月後へずらせて計算した。)

よつて次に、右財産的損害についての被告市川茂の賠償責任額及び亡渡辺修、原告等に対する慰藉料を検討すると、先ず本件事故発生に関する亡渡辺修並びに被告市川の過失の程度については前記のとおり亡渡辺修には速度制限を超えて進行した事実のほかに前方不注視又は車間距離不適当の過失が認められるところ、被告市川にも停車措置について注意義務の懈怠があり、右停車が急制動によるものであるか否かについては証拠上明らかでないが、前示のとおり下り坂であり且つ路面が雨のため濡れてスリップし易い状況にあつた点を考えれば後続車両に注意することもなく漫然車線の略中央で停車した同被告の過失は亡渡辺修の過失に比して軽いものとは云えず右の各事情よりすれば右亡渡辺修の財産的損害に対する同被告の賠償負担額はその半額の金三、六四三、一二〇円をもつて相当と認められ、右事故によつてその生命を失つた亡渡辺修の精神的苦痛を慰藉すべき金額は金一〇〇万円、同人を失つた原告等両親の精神的苦痛に対する慰藉料は各金二五万円をもつて相当と認められる。

以上によると、原告等は右亡渡亡修の被告市川茂に対する財産的損害賠償請求債権並びに慰藉料請求債権の合計金四、六四三、一二〇円の各二分の一の相続分金二、三二一、五六〇円と各自の慰藉料債権金二五万円の合計金二、五七一、五六〇円の賠償請求債権を各自取得したことになるところ、原告等が本件事故に基き自動車損害賠償保険金一五〇万円を受領し、それぞれその二分の一宛を右各債権に充当したことは原告等の自認するところであるから、これを控除し、結局原告等は各自、被告市川茂に対し、金一、八一五、六二〇円宛の賠償請求権を有することになる。

よつて原告等の被告市川茂に対する請求は原告等各自に対する金一、八一五、六二〇円及びこれに対する本件事故の日の翌日以降支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから右範囲で正当として認容し、その余は失当として棄却し、被告国鉄に対する請求は理由がないので失当として棄却し、民事訴訟法第八九条、同第九二条、同第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 金田智行)

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